ディレクターズ・カンパニーとは、何だったのだろう?
石橋凌の記事から思わぬ方向へ思考が飛んでいく。
ディレカンとは、
結局そこでは、1本の映画も撮らなかった長谷川和彦
『太陽を盗んだ男』が、1982年に大森一樹
『ヒポクラテスたち』相米慎二
『ションベン・ライダー』高橋伴明
『襲られた女』根岸吉太郎
『暴行儀式』池田敏春
『スケバンマフィア肉<リンチ>刑』井筒和幸
『ガキ帝国』石井聰亙
『狂い咲きサンダーロード』黒沢清
『しがらみ学園』ら若手監督9人に声をかけて、自分たちの撮りたい映画の製作を目指して設立された企画制作会社である。
われわれ映画ファンにとっては、
凄い期待でワクワクしたのを憶えている。
同時に、以降の作品・その過程・および終焉を見ていくにつれ
大いなる失望感に見舞われたのも
事実だ。
(しかし、以後の
ロッポニカや
アルゴプロジェクトよりましか?)
今回、
いち映画ファンのオトシマエとして、
あれは日本映画の
汚点だった と結論づけようとしてあれこれネットで検索してたら、
中上健次(
『青春の殺人者』原作者)の告別式の夜、
荒井晴彦がゴジさんにインタビューしている映画芸術の記事を見つけた。
で今日は、その記事よりディレカンの
破壊点<break Point>になった
故・
相米慎二監督の
『光る女』 ね。
オープニングの
粗大ゴミの山で唄う秋吉満ちるから、
炎上するバスの中で踊る出門英(ヒデとロザンナ、故人)、
ラストで丸太の上で空中殺法を見せる
<グレート・ムタ>ならぬ
<スペース・ローン・ウルフ>時代の武藤敬司まで、正しく
フェリーニ的な映画スペクタクルにあふれているが、
いかんせん
商業映画としては完全に破綻している。
結局、映画監督がいっぱい集まってもうまくいくことはない。
<四騎の会>(黒澤明、木下恵介、市川崑、小林正樹)や
本家の
<ディレクターズ・カンパニー>(コッポラ、フリードキン、ボグダノビッチ)の例もあるし…
作家主義と資本主義はつながらない。と中小企業の経営者としてそう思う。
我々の手本とするべきは、やはり
ロジャー・コーマンである。
本作のオークションは終了しました。
デイレカン作品、石井聰互監督の
『逆噴射家族』のアートシアターもあるよ。

0