○天理教よふぼくの集い●

僕は、小さい頃から足が不自由で様々な神様や仏様におすがりしてきましたが、四年くらい前(2006年11月時点より)にもうない命(人生に絶望して、いつ死のうかという毎日でした)を天理教の神様に救けていただきました。その御礼をこめて、毎日のひのきしんとしてこのブログを書かせていただいています。自分自身の体験談や、お道の御教え(三原典)をもとにした日々の心づかいなどを練り合いさせていただきましょう!!(^o^)

 

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投稿者:基本。
教会本部では、用語について、基準を示しています。
「お言葉」とは、原典のお言葉、おやさまのお言葉、真柱様のお言葉までしか、用いないというのが基準となっています。

折角のお匂いがけ。
匂いを掛けられた方が、後々に誤解が無いように、配慮してあげる事も、大切ではないかと思います。

ご本部で禁止しているというわけではないのですが、そういう用い方はしないという事は、習慣として徹底されています。
投稿者:ひろ
基本さん。コメントありがとうございます!m(__)m

僕は、渡部与次郎先生のご本の言葉をそのまま書かせていただきました。
また、僕は『お言葉』というのは、普通の日本語であり敬語だと思わさせていただいていますが、ご本部では禁止されておられるのでしょうか???
投稿者:基本。
匂いをかけておられる事、信仰の道として、熱心はすばらしいことと思います。

ただ、「お言葉」という表現は、天理教としては、真柱様の講話までの範囲に用いるものと、本部では示しています。
関根先生の「お言葉」という表現は、避けられるのが、天理教としての慎みと思います。

親神様の「お言葉」と、そうした表現においては、関根先生の「教話」とか、「信仰のお話」というところで留められたらいかがでしょうか。

勇んでおられるところ、ふと目に留まりましたので、一言だけ、意見を申し上げました。
投稿者:ひろ
sawaさん、コメントありがとうございます!!m(__)m

そして、レスが遅くなりまして誠にすみませんでした!!m(__)m

ちょっと今日は、珍しい友達が来ていて話し込んでしまっていました。

ほんとに、ありがたいことですね!!(^_-)-☆

おやさまのことを思わせていただくと、自然に心が安らいできますね〜!!

『優しい心になりなされや、癖性分をとりなされや、人さんたすけなされや』

というお声が聞こえてきますよね〜!!o(^-^)o
投稿者:sawa
一言モンクを言ってやろうかと考えたとき、必ず胸のお守りを握ります。教祖はお慶びくださるか?そう問うたら、気が静まる気がします。
握るのが遅かったら・・・けんかしてます。

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