○天理教よふぼくの集い●

僕は、小さい頃から足が不自由で様々な神様や仏様におすがりしてきましたが、四年くらい前(2006年11月時点より)にもうない命(人生に絶望して、いつ死のうかという毎日でした)を天理教の神様に救けていただきました。その御礼をこめて、毎日のひのきしんとしてこのブログを書かせていただいています。自分自身の体験談や、お道の御教え(三原典)をもとにした日々の心づかいなどを練り合いさせていただきましょう!!(^o^)

 

カウンター1

本日のアクセス
昨日のアクセス
総アクセス数

カレンダー

2019年
← April →
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

翻訳

amazon

QRコード

RSS取り込み1

拍手ランキング

1位 【おかきさげ】
2拍手
2位 『まま食べるのも月日やで』(その一)
1拍手
3/28〜4/4までのランキング結果です。

ブログサービス

Powered by

teacup.ブログ
RSS
この記事へのコメント一覧
※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。
投稿者
メール

 
コメント
URL
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。
投稿者:ひろ
ままりもさん、コメントありがとうございま〜す!!(^o^)

「成ろうと思うても成らせん」というのは、日々の“あたゑ”即ち、“個人個人の徳分による運命”のことをおっしゃられていて、努力もしないで分不相応な願いや欲の心を出しても、思うように成らないと“不足”の心が出てしまう。

………ということで、日々の“あたゑ”に感謝させていただき、日々を喜んで“陽気”に通らせていただくことが大切であり、思うように成らないことがあっても、結構に《十全の御守護》をいただいているという“かしもの・かりものの理”を心に治めるということが“たんのう”につながるのだと思います。

しかし、このことと「金メダルを取りたい」ということは、また別の問題で、本人がしっかりと努力してチャレンジしていくというのは問題ないと思います。
しかし、あくまでも自分自身の努力と心の強さが必要であり、努力もしないで分不相応な心で、競争相手の失敗を願ったり、自分さえ金メダルが取れればどんなことをしてもいいなどとか、利己主義になってしまうことや、金メダルが取れなかったと言って不足を言ってしまった場合は、元も子もないことになってしまうと思います。

おわかりいただけたでしょうか?
投稿者:ままりも
少し、教えてくださいませんでしょうか?
『成ろうと思うても成らせん』と言うのはどういう意味なのでしょうか?例えば、オリンピックの選手が、金メダルを取ろうと思って努力する事は、成ろうと思っても成らないことなのでしょうか?

掲示板

メッセージBOX

過去ログ

teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ