「(松本奎堂は)文久元年(1861年)三十一才の時、憂国の情やみがたく京都におもむいた。そのさい向かい側(小牧町、現・石町)の書店美濃屋伊六(静観堂)の屏風に揮毫して記念とした。この屏風は「静観堂屏風」として有名で、現在刈谷市金勝寺蔵となっている。」と江崎公朗著「山吹のあゆみ」に紹介されている。
松本奎堂像
屏風は勾田台嶺(まがた だいれい)の山水八景を六面一艘のにしたもので、左右の余白四面に松本奎堂の揮毫がある。文面には「予寓浪越之三年・・・ 松本衡識于浪越石街寓居」とあります。
勾田台嶺については美術人名辞典に「江戸後期の南画家。尾張生。名は寛宏、字は文饒。中林竹洞に画を学び、のち江戸へ出て広瀬台山に師事する。晩年には元・明の古跡を修得する。山水・花鳥を能くした。天保頃(1830〜1844)の人。」とあります。
静観堂屏風 右部


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