これまた、先輩の本棚で見つけた本です。
「日本医学会総会 百年のあゆみ」(平成11年刊行)の中に好生館病院の記録が幾つか載っていました。
第1回 日本医学会は明治23年に東京で開かれました。特待者(招待者)の中には福沢諭吉、伊藤圭介、ドクトル・ベルツに混じって「胡蝶の夢」の主人公・松本順(良順)の名も見られます。
第2日目、諸家に混じって好生館病院長・北川乙治郎が「大便ノ検査ニ就テ」と題して名古屋からただ一人(多分)、発表をしています。
第2回は明治26年に東京で開かれました。松本順は名誉会頭として、蘭学から明治初期におけるドイツ医学の導入までの歴史を祝辞の中で述べています。
好生館病院長・北川乙治郎は第1回に続き、「腹壁切開術ニ就キテ」と題する発表をしています。
その後、明治35年には北里柴三郎らが中心となり、医学に関する学会を連合し、第1回 日本連合医学会が東京で開催されました。この学会に連合した学会は39とされ、その中に「地方に在るもの」として好生館医事研究会が記録されています。当時、好生館医事研究会は定期的に会誌を発行している東海地区唯一の学会でした。
この医学会では北川乙治郎に加え、好生館病副院長・佐藤勤也と刈谷の医師・宍戸俊治(共に東京医科大学卒)が演題発表を行っています。発表者の中には北里柴三郎、山極勝三郎、呉秀三、北林貞道の名も見られます。

この第1回 日本連合医学会において、ドクトル・ベルツが講演し、結核の治療を例に挙げ、日本の医療の閉鎖性に言及したことが司馬遼太郎著、「胡蝶の夢(三)」(新潮文庫版、357頁)で紹介されています。

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