土佐のおんちゃんの田舎暮らし

平成15年12月に国立病院を定年退職後、約40年ぶりに生まれ故郷(高知市鏡)にもどり、集落の人々と交流しながら、無(減)農薬・有機栽培の野菜・果樹つくり、美食の探求などに試行錯誤で挑戦中(現在78歳の後期高齢者)
また、おんちゃんの作った野菜や果樹、山菜を直売店・鏡むらの店に出荷し、微力ながら、地産地消に貢献中!

 
 高知市鏡(旧鏡村)は、高知市の北部に位置し、高知市の水瓶鏡ダムを抱える面積60.06kuの山村地域ですが、高知市中心部より車で30分で来ることができる大変街に近い田舎です。
 地形は平坦地がきわめて少なく、標高20〜900mの山々が連なり、15〜40度の急傾斜地が全体の95%を占めています。そして耕作面積は少なく林野率は87%に及んでいます。
 気候は年平均気温は15℃前後と比較的温暖多雨で植物の生育には適していますが、山間部で日照時間が短いため、主要農作物の収穫量は少ない反面、わらび、ゼンマイ、イタドリなどの山菜はもとより、たくさんの珍しい山野草なども見られます。
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投稿者:onchan
HANAさん、40年以上前までは、確か野鳥も堂々と売られていたように記憶しています。
その後、ほとんどの野鳥は禁猟となり、一般の目には見られなくなりました。
投稿者:onchan
ばばんばさんの言われるように「空腹を満たすためにイロイロ考える」ものです。

裕福でなかった分、色々工夫する習慣が付いたので、貧乏も物は考えようです。
投稿者:HANA
やはり、40年位前だったかなあ〜?
山梨にドライブに行った時、野鳥の店という食堂があり、美味しかったのを覚えています。昔はお店で売られている肉などなく、鶏を飼っていてタマゴを産まなくなると父親が絞めていました。その時は見るのは厭でしたが、食べたら美味しくて最高のご馳走でしたね。
投稿者:ばばんば
>>おんちゃんが子供のころ(昭和30年頃)は、今のように食べ物はごく限られており、いつも腹を空かしていた状態でした。
>>今の時代の人にはなかなか理解できない野蛮な境遇でした。

空腹だと、知恵を使って生活しなければならない。昔は食べ物も、きるものも中々苦労したと聞いています。母などは戦中派?大正12年生まれなのでよく聞かされました。

どんな人でも、空腹なら、空腹を満たすためにイロイロ考えるのはあると思う。。。
野蛮ではない気がする。。。
私は昭和26年生まれ(関係ないけど(笑
投稿者:onchan
ばばんばさん、おんちゃんが子供のころ(昭和30年頃)は、今のように食べ物はごく限られており、いつも腹を空かしていた状態でした。
そこで、空腹を満たすには、自分から何か喰うものを得るしかなく、近くの山の谷間に罠(馬の尻尾で作ったもの)を仕掛け、小鳥などを捕獲して、死んだ(殺した)あと毛を抜いて、体毛はあぶって焼いて、さばいてタレをつけて、焼き鳥にする。
食糧難の時代なので、それはもう最高のご馳走でした。
日によっては、10羽ぐらいのツグミ、ハト、ヒヨドリなどの収穫がありました。
特に、ツグミは最高の味で、今でも思い出すだけで、よだれが出そうです。

と言っても今の時代の人にはなかなか理解できない野蛮な境遇でした。
投稿者:ばばんば
こんばんは
>それとも、おんちゃんが子供の頃手当たり次第、小鳥を捕っては喰っていたので

すごい!どうやって食べてたんだろう?
羽は? 体毛は?
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