その歌を初めて聞いたのは、あがた森魚のライブだったかな。
「バンドネオンの豹(ジャガー)」であがた森魚にハマったんだった。
そして、矢野顕子の名盤スーパーフォークソングにて…。
いや、それまでにも多分聞こえていた事はあったのかも知れないけど、自分で聴いたのはその時が初めてだった。
その時から、その歌を聴く度に私が必ず浮かべてしまう景色があった。
寒空に星が見え出した初冬の夕暮れの街から飛び立って、俯瞰で見ているイメージ。
多分、みんなそうなんじゃないかな?と、若かった私はいつかこのことを誰かと語りたかったけれど、
その当時そんな歌を知る知人友人も無く、また、そんな知人友人が出来たその後も、今度はそのイメージの事をすっかり忘れてしまっていて、ずっとそのまま…。
そのイメージに浸って目を閉じていた年齢から更に同じ時間を過ごしてしまっていた。
そしてまた今、ある映画でこの曲と再会する。
「大寒町」作詞 作曲:鈴木博文
大寒町に ロマンは沈む
星にのって 銀河を渡ろう
かわいいあの娘と踊った場所は
今じゃ場末のビリヤード
大寒町に 雪降るころは
もうじきだね 呼んでみようよ
輝け星よ 月よりも
あの娘のしあわせ 照らしだせ
大寒町に ロマンは沈む
星にのって 銀河を渡ろう
かわいいあの娘と踊った場所は
今じゃ場末のビリヤード
映画は、「探偵はBARにいる3」。
「大寒町」もすごいけど、初っ端からオイオイ、「大道芸人」だよ。
毎回この映画での挿入歌のセンスににんまりさせてもらっているが、今回はすごいなぁ、と観始める。
今回はそのラスト、エンドロールに使われていた曲、大寒町についてであって。
そのラストの映像で、昔の私のイメージがそのまま映像になっていて、あまりの嬉しさに、もういつ死んでもいいって思ったよその時は。
数十年ぶりにそのイメージがしっかりとした美しい映像になって自分にどーんと帰って来た事に、私はなぜか動揺して、思わず立ち上がってしまいそうになったくらい。
けどもちろんそうせず、気持ちを落ち着かせるために、とっくに無くなっているドリンク…今回の映画のためのオリジナルのもの…のカップの中の、ライムの酸味の残る氷水をずずずっと啜った。
ずずず。
嬉しかった。
歌に合わせて小さく唇を動かしていた。
映画でこの曲がかかるのは、主人公の探偵とその相棒との別れのシーンからだ。
探偵は、暫くは会えない別れだということを意識しないよう、いつも通りに相棒と別れた後、一度振り向き、街角を曲がり見えなくなる相棒を見届ける。
そして、幸せになって欲しいと願う女の面影を胸に、また前を向き寒そうに歩き出す。
そこから、彼の想いを乗せた歌の気持ちとしての映像はそっと街の上空へと舞い上がって行く。
まだ暗くなりきっていない北の街の澄んだ夜空へと。(そして多分月を超えて星へと。)
♪大寒町にロマンは沈む
♪星にのって 銀河を渡ろう
なんてこった…だった。
こんな風にして思い出させてくれるなんて、ああなんて私は幸せ者なんだろうか?と思った。
二十数年前の自分とまた出会うことは、もっと小恥ずかしいものと思っていたが、いやいや、歳を重ねるとそれすらヒリヒリする幸せ。
当時私に湧き上がっていたイメージでの町は、当時住んでいた阿佐ヶ谷だった。
住んでいたところから上に上に、青梅街道や中杉通りを見て、中央線がたらたら動くのが見え、
もっと高く上がれば遠くに都庁が見え出すし、遠くに高尾山も見えるのかな?と。
そして自分は、普段見上げている月も超えて星に乗る。
でも、見ている景色はせいぜい着陸間近の飛行機の中から見えるくらいの距離。
だから、今回の映画のラストと同じくらいの距離感で、
本当に何故こうも同じ景色なのかと震えたくらい。
その距離感も好きだった。
遠い遠いところから見守る、相手には全く届かない視線。
けれど、星の光そのものは確かに地上に届いている。届けたい相手が見上げなくても。
♪輝け星よ 月よりも
♪あの子のしあわせ 照らしだせ
地上からだと、星より遥かに大きく見える近くにいる月よりも…。
けれどしかし星は、まさに星の数ほどある。
ひとつひとつは小さいけれど、たくさんあるんだよ、と、
まるで金子みすゞのような心持ちで愛しい街を俯瞰する、その距離感だ。
その静かな気持ちは、けれど強い想いだよ。
勝手な私の想像上の想いではあるけれど、だよ。
ロマンなんて言葉が、全く恥ずかしくもなく自然に、純粋に届く。
今じゃ作れないのではないかな?こんな歌詞。
いつまでも残したいなぁ、残るといいなぁと思う歌というのは、それなりの理由があり、
こうしてこういう形でその歌がまた自分にとって深く刻まれることが、
本当に幸せ者だなぁって感じさせてくれる。ありがたいなぁ〜、と。
で、私のイメージと映画のシーンの唯一の違い…、
映画では、冬の札幌だから当然だが、見下ろす町のビルや家々が、青く光を返している雪に覆われていること。
ただただ、綺麗だった。星空を見ているようだった。
この町のどこかに、幸せでいてほしい人がいて、
その人の幸せを照らし出せるのだとしたら、それ以上の喜びはないなぁ・・・なんて思っていたら不意に、
不意に星の王子様を思い出した。見る方向が逆だけど。
いやぁ、星がきれいに見えだすこの季節、どうしても脳内出現頻度高くなるんだよ、星の王子様。
そこに確かにあると自分が信じれば存在し、
いやイマイチ確信が…となったとたんその存在はぼやけて消えてしまう。
要するに自分の気持ち次第。
と言うとオーマイガー、なんと不確かな存在であることよヨヨヨ、生きるのってしんどい、
と泣きたくなるかもしれないが、違うんだよ。
この映画と同じように最後までしっかり見届けてほしい。
要するに、それってのは信じさえすれば確かに輝いてその輪郭がくっきり見えるってことだ。
そこが肝心なんだろうな。
別にスピってるわけじゃなくて、でもそれが肝心なんだろうな、と思った。
映画の内容には触れないと言いつつ少し触れると、
今回のヒロインも、そのような不確かなある思いを、確信に変えて、1つの選択をしただけのことだ。
たくさんあるんだよ選択肢は。でも、選び取れるのは、1つだからね。
友達とか家族とか部長とか民生委員とか、要するに世間体とかどうでも良くて、
最後に選び取る物事は、やはり、どうあれば自分が幸せか…、という基準が一番なんじゃないかな?と。
なんだそんな単純なこと、って思う?
でもそれはものすごい気力体力勇気そして愛を必要とするわけで、
それを維持する自分の核・・・、まぁでもそれがその選択をするわけだけど、
それがヤワだと、その選択にすらたどり着けないのではないかな。
そんなことを思った大寒町のロマン・・・からの星の王子様であったわけである。
それでオープニングの「大道芸人」・・・
いやぁ生きるって面白い。