Toshiba-EMI EAC-40216 LP
巨匠とエドウィン・フィッシャーが共演したレコードが在る。それがこの皇帝協奏曲なのだが、この組み合わせ、とても意外なように感じてしまうのは何故だろう?つまり接点が結びつかないのだが、レコードの場合は企画の関係で実現したとも考えられるので要らん詮索は止めて演奏を聴く事にしよう!因みに巨匠の著書「私は注意深く思い出す。」にもこの録音の事は触れられていなかった。そもそも私が初めてこの演奏を聴いたのは巨匠の没後にFMで聴いたのだが、凄まじい針音に降参してしまい内容も解らなかったが不思議と印象に残ったので購入の機会が在ればと思っているうちに年月が流れてしまったと言う訳である。だから購入したのは遂最近の事である。そこで久々に聴いたのだが、意外と凄まじい針音は余り気にならずに聴けた。それは勿論自身の年齢にも起因するのだろうが、装置も当時よりはグレードアップしているので尚更か?とは言え大した事もないのだが....? さて要らん講釈は此処までとして感想をのべよう!収録は、1939年である。楽団は当時ザクセンと呼ばれたドレスデン・シュターツカペレである。さて第1楽章冒頭は、録音状態は良いのだが、この楽団の特色である燻銀のような音色が捉えられていないのは復刻盤なれば仕方ない。しかしながら堂々とした如何にも質実剛健な造型は若くても巨匠の音楽性を表している。従って色彩感も今ひとつなのだが、フィッシャーが余りにも軽々しく弾き熟しているので変な重さを感じない。聴いていると流石に巨匠の本領を感じるのがフィッシャーを確実にサポートしている点である。そんなところがオペラ指揮者なのかと思うが、いざと言う時に「ドスッ!」と入る重量感も巨匠特有のものだろう。リズムが乗ってくると足音のような音が聴こえる。気合も充分である。流石にフィッシャ−も若い。一気に駆け抜けてこの楽章は終わった。第2楽章は、天上に向かって音楽を奏でている趣が在って、とても感動的である。その表現は澄み切っており、そして純真である。精神的にも高い次元に達している。此処は後年のフルトヴェングラーとの再録より勝っている感じがする。聴いていると暖かい気持になる。終楽章のフィッシャーは、何もペースは変わらずサラサラ進む。だが後半、興に乗ってくると断然勢いが増してくる。それは巨匠とて同様だが、終章も正しく渾然一体と言った感も在るので充実感も在る。地に足がついたオケの響きが素晴らしい。集中度もこの頃の巨匠ならではである。

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