Polydor Japan MG-2009 LP
さて此方のレコードだが、曲は、ベートーヴェンの第3交響曲である。1961年にベルリンフィルと共に収録されものであり、嘗て批評家の宇野功芳さんに「似ても焼いても食えない。」と酷評されたレコードだが、其れは、巨匠の特色でもある規律正しさや生真面目さからくる真撃な態勢が、余りにも遊びが無くて窮屈な演奏に感じた事による苦言と推察するが、確かに巨匠には、其の一面が在るのだが、実際に全盛期の実演を聴いた宇野功芳さんなら兎も角、晩年からようやくFM放送なりで放送音源を通じてエアチェックをしていた世代からは、正直解り辛いところがある。かく言う私もまだ巨匠が椅子に座って指揮をする少し前辺りから聴いているので、巨匠の血気盛んな頃から知っている批評家さんの様にはいかない。しかしながら巨匠が、バイロイトで振った演目は、後にレコード化されているので、当時の特色は、辛うじて理解出来る。そんな状態なので、改めて全盛期の実況録音が、現在に至っても然程CD化をされていないのが、とても残念に思う。だからこの交響曲に関しても其の時代の同曲の実演を聴いた訳でも無いので何とも比較のしようが無い!なので当時の演奏スタイルは、レコードから推察する事になる。そんな事を前提としてだが、演奏の感想を述べていこうと思う。全盛期の巨匠のテンポ感は、寧ろ早目であったのは定説通りで、其れは、バイロイトの一連の演奏でも明らかだが、是とて例外では無い!冒頭の和音が、如何にもキッパリとした響きで魅了されるが、其の後の第1主題も流れる様に進むので、何とも痛快である。そして骨太の土台のしっかりした低弦の響きは、フルトヴェングラー時代にも聴かれたベルリンの低弦であり、この頃のベルリンフィルには、まだドイツ的な特色が、まだ強かった。高弦も繊細でナチュラルである。それにしても突進する極めて求心的な音楽は素晴らしく、金管の強奏も当時の巨匠の特色を充分に捉えている。確かに真撃な演奏だが、窮屈では無い。一言に言うと気字壮大な演奏だ。しかし平凡に終わらないのは巨匠の造型感覚が厳格であり、これほど念入りに各声部が巧みに処理されている演奏も無いからである。聴いていると気分が高揚してくる。第1楽章は、其れほど颯爽としている。第2楽章も、そんな感じだが、低弦部の確かな足取りは確かで構成を重視した結果が、演奏の安定性を助長している。だが不思議と必要以上の重苦しさは無い。再現部の金管の輝かしさも、この曲の魅力を余す所無く伝えている。留めのティンパニーの強打も素晴らしい!炸裂する様にエネルギーが放出されるのが、聴いていて体感出来るのも、この時代の巨匠ならではだろう。続く第3楽章は、曲の性格上、前半に対してバランスが悪いのは承知の通りだが、巨匠の音楽は骨太で作品の欠点を感じさせない。ここでもリズムやバランスに細かい気配りを見せる。何よりも演奏の瞬発力が凄く変則リズムでも畳み込むキレの鮮やかさに若さを感じさせる。そして、トリオのホルンの重奏は、如何にもドイツの森を感じさせてスケルツォ部分との対比もはっきりさせて見事だ!終楽章もその延長である。冒頭の突進する勢いも曲のイメージ通りだ。ここでも造型の揺らぎは当然無い。例の変奏曲の運びも構成を明らかにしていく極めて正調なものである。そんな点から、この曲のレコードで一番安定した終楽章の演奏では在るまいかと思われる。終止部も堂々とした気迫が溢れ立派である。カップリングは、「コリオラン」序曲だが、これも全盛期の巨匠を彷彿とさせる。実演で聴かれる感情のうねりも素晴らしい。残念なのは、当時の録音バランスの慣例から、低弦部の量感が不足している事である。力強い重厚な表現だ。巨匠は、この曲の持つソナタ形式を重視し、その悲壮的な主題でさえ美しく聴かせる。それは終止部迄、高揚し立派に演奏を締めくくる。収録は、1958年だった。ベルリンフィルのドイツ的性格が、聴き取れる時代の演奏である。

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