名古屋の書肆「永楽屋」の初代東四郎は、寛保元年(1741)の生まれで、没年は寛政7年(1795)。姓は片野という。名は直郷、通称は東四郎といった。初め、名古屋の書肆風月堂孫助に奉公し、35歳の時に独立し、名古屋本町4丁目に開業した。書肆としては、「永楽屋東四郎」「片野東四郎」「東璧堂」という名を使用している。のちに同7丁目に移り、尾張藩校明倫堂の御用達となってその基礎を固めた。
本居宣長の『古事記伝』を寛政年間に刊行したことが特に著名で、初代店主が没したのちも、2代の善良によって『古事記伝』の出版は継続され、文政5年(1822)に完結している。宣長の著作の出版は永楽屋にかなりの利益をもたらしたようで、明治に至るまで、神棚に文将星(魁星)と孔子、そして宣長を祀っていたそうだ。
永楽屋の出版物は宣長の著作以外にも多岐にわたり、特に葛飾北斎の『北斎漫画』をはじめとする「絵手本」は売れ行きも好調であったようだ。『北斎漫画』は、北斎が気の向くままに描いたさまざまな図柄を集めた作品で、文化11年(1814)永楽屋から初編が出版され、正式な書名を『伝神開手北斎漫画』という。こうした作品は「絵手本(えてほん)」と呼ばれ、絵を学ぶ人の教科書や、工芸職人のデザイン参考書として、また、眺めて楽しむ画集として人々に活用された。
下記に記した『葛飾新鄙形(しんひながた)』や『北斎麁画(そが)』なども同様である。身近な事物や空想の世界を生き生きと描いたその内容は、19世紀末のヨーロッパの芸術家たちをも魅了し、印象派にも影響を与えた。『北斎漫画』には、表情豊かに描かれた人物画がたくさんおさめられており、いずれの図にも、北斎の確かなデッサン力と観察力、人間に対するあたたかな視線を感じることができる。
永楽屋は、文政年間には、江戸にも出店を開き、三都の大店と肩を並べるほどの規模へと発展した。なお、江戸時代の店の様子は、名古屋市博物館に復元されている。

『北斎漫画』初編の内容の一部

『北斎漫画』第十一編の奥付 永楽屋、江戸日本橋出店の記載がある。

『北斎漫画』第十五編の奥付 右側に東璧堂製本画譜の出版目録

『葛飾新鄙形』の内表紙 初版天保7年(1836) 明治10年後印
発行書肆は、
「東京日本橋通一丁目 北畠茂兵衛/同 同 通二丁目 稲田佐兵衛/同 同 通三丁目
丸屋善七/同 南伝馬町一丁目 吉川半七/同 浅草茅町二丁目 北沢伊八/同 日本橋通一丁目
大倉孫兵衛/京都三条通御幸町 大谷仁兵衛/同 同 寺町東 福井源次郎/同寺町四条上ル 田中治兵衛/大坂心斎橋筋北久太郎町 柳原喜兵衛/同 同 南久宝寺町 前皮善兵衛/同 同 博労町 岡田茂兵衛/同 同 南一丁目 松村九兵衛/同 同 備後町 吉岡平助/尾州名古屋本町通八丁目
片野東四郎」
とある。明治10年に刊行された時の「丸屋善七」は、「丸善」を設立した人物だろう。当時絵草紙屋を営んでいた「大倉孫兵衛」は、のちに森村市左衛門とともに「日本陶器」を創立する人物だろう。面白いところで名前を見つけた。

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