徳川美術館の企画展示「天下人たちの時代」を見てきた。「長篠合戦図屏風」「関ヶ原合戦図屏風」「豊国祭礼図屏風」は、何回見ても見応えがある。今回の展示で目を瞠ったのは、松平忠吉の巨大な「直鋒」の幟旗だった。松平忠吉は、家康の四男、清洲城主として尾張に入るが夭折した。
徳川美術館の様々な収蔵品の中で私が一番気に入っているのは、「顰(しかみ)像」と呼ばれている「徳川家康三方ヶ原戦役画像」だ。元亀3年(1572)上洛を目指す武田信玄軍を三方ヶ原に迎え撃ったが、惨敗して浜松城に逃げ帰った。家康31歳の時の敗戦である。家康は後年、この敗戦を肝に銘ずるためにその姿を描かせ、慢心の自戒として生涯座右を離さなかったと伝えられる。
思い出したくない過去というものをもって生きている人は多いと思う。私もそうだ。適応機制のなかに逃避機制というのがある。いやなこと、思い出したくないことを封印し心の奥底に秘匿して、心的バランスをとろうとするものだ。最近の私はそういうことが多く、前を向いて走っていないなと思うことが多くなった。
つらさや屈辱感を忘れず、常に前向きに戦う姿勢を持ち続けた家康が、安定した天下人になったのは、おそらく慢心を常に戒め、自分の足を掬う恐れのある障害を用意周到に排除していったからであろう。

百日紅の向こうの徳川美術館。

左上、松平忠吉の「直鋒」の幟旗。

「徳川家康三方ヶ原戦役画像」

伝狩野探幽「東照大権現像」

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